ユメコ|心の整理|フリスビー
今日で二七日(ふたなのか)
ユメコが逝って約2週間
あっという間に過ぎていきました
今回のユメコの死をもって
愛した人・愛したペットの存在が無くなり
絶望感と表現できないくらいの深い悲しみの中
今後、どう生きるべきか
どう前向きに気持ちを持っていけるのか
尊厳ある「死」を
どう受け止めるのか?
どう受け入れるのか?
学ぶこと・知ることが必要で
喪を生業(なりわい)としている以上、非常に重要であり
また知らなければならない立場にいると感じ
感じた事を少しづつポストしようと決めました
火葬荼毘(だび)の後
直ぐに共同埋葬をせず、人間様のように四十九日間
ユメコの骨を自宅に安置することにしました
先人達がなぜ?遺骨を自宅に
三十五日(五七日)から四十九日(七七日)まで、置いていたのか?
宗教的な意味は敢えて今回は省きます
亡くなって
初七日を迎える6日目頃より
悲しみが不思議と癒(い)やされてきました
毎朝、毎晩
お骨にに向かい話しかけ、
朝一番の水を家内があげ、
ワタクシも起きると直ぐに線香を手向ける
以前は、生前のカラダは仮の住処で魂は輪廻転生すると
固く信じていましたが
抜け殻の骨が拠り所となり
魂のない骨に声を掛けることで
ユメコの存在が骨に移行した様な錯覚に陥りました
毛並みを触ったり身体に触れたりは出来ませんが
骨壺を抱いて話しかける日課が続き
おはよう
寂しくないよ〜いつも一緒だよ〜
行ってきます
ただいま〜
愛してるよ〜
おやすみ
など日常的な会話を骨に掛けることで
精神的に気持ちが安定するのが自分自身でもわかるようになりました
これは
ホントに不思議でした
亡くなった当初は
様々なユメコの思い出の品(遺留品)も
捨てることは出来ず
見る度に涙腺を緩めていました
ユメコが寝ていたクッションには
未だにユメコの匂いが残っていて
その匂いを嗅ぐ度にこれまた涙腺が緩くなり
娘は、そのクッションを抱きしめて号泣していました
ゲージもトイレもおもちゃも防寒用ウェアも
首輪もリードも就寝用のクッションも
処分できないと思っていました
ドッグフード等、思い出の詰まった商品以外は断捨離出来たのですが
2週間経つと
不思議と悲しみが薄れ
気持ちの整理が出来た頃に家族で相談し
処分しようという気持ちにすらなってきました
たぶん
四十九日までには
全てを処分できると今は思い始めています
自宅に骨を置いておくことで
こんなに癒やされるとは思いませんでした
きっと
火葬当日、共同埋葬していたら
いつまでも死を受け入れられず
悲しみを背負ったまま生きていたと思います
三七日・四七日・五七日と徐々に
受け入れることが出来ると確信しています
先人は意味があってそうしてきたことを
改めて思い知り
何事にも意味があることを学ぶことが出来ています
ユメコが一番大好きだったフリスビー
よく遊んだな
最期にはこんな形になってしまいました
ボロボロですね〜
今回
通夜も家族で執り行い
最期のお別れも家族でしっかり納得がいくまでしたことで
気持ちの整理も出来たこと
直葬にせずに
しっかり儀式をしたことで
通夜・葬儀の重要性も知るに至りました
葬儀は、残された方々の為にある
ということを心から感じました
また
報告します